TeZukA 追加公演決定・・・ ― 2011/11/30 19:47
映画「北のカナリアたち」 ― 2011/11/30 21:28
映画.comに森山くん出演情報が出ていた。
最初、この中に森山くんや満島ちゃんがいるのが分からなかった。2人とも髪切ってました。勝ちゃんは、あまり変わっていないな。
しっかし、いい若手を揃えましたねぇ。湊さんのこわーい本と吉永さんは、苦手なのでもしかしたら観ないかもしれないな。
撮影は12月2日に札幌でクランクインする。公開は2012年秋以降予定。
<あらすじ>
北海道の利尻島、礼文島が主要な舞台となるサスペンス巨編の今作は、湊の「往復書簡」(第二話「二十年後の宿題」)が原案だ。吉永が演じるのは、離島の小学校で教師をしていた川島はる。最後の教え子となった6人の子どもたちは、天使の歌声をもっていた。そのうちのひとりが崖から落下した事故で夫を失ってしまう。20年後、教え子のひとりが事件を起こしたことを知り、最後の生徒たちに会う旅に出発する。
最初、この中に森山くんや満島ちゃんがいるのが分からなかった。2人とも髪切ってました。勝ちゃんは、あまり変わっていないな。
しっかし、いい若手を揃えましたねぇ。湊さんのこわーい本と吉永さんは、苦手なのでもしかしたら観ないかもしれないな。
撮影は12月2日に札幌でクランクインする。公開は2012年秋以降予定。
<あらすじ>
北海道の利尻島、礼文島が主要な舞台となるサスペンス巨編の今作は、湊の「往復書簡」(第二話「二十年後の宿題」)が原案だ。吉永が演じるのは、離島の小学校で教師をしていた川島はる。最後の教え子となった6人の子どもたちは、天使の歌声をもっていた。そのうちのひとりが崖から落下した事故で夫を失ってしまう。20年後、教え子のひとりが事件を起こしたことを知り、最後の生徒たちに会う旅に出発する。
映画「苦役列車」 出演情報 ― 2011/11/30 22:00
小説「苦役列車」を映画化するようです。森山くん出演らしいが、役名は未公表。2012年公開予定。
これで、「ALWAYS 三丁目の夕日'64」「セイジ -陸の魚-」「北のカナリアたち」「苦役列車」と1年に4本も出演映画が並ぶ。
釣瓶さんのコメントだとスケジュールは2013年まで入っているとのこと。
この小説、芥川賞を受賞している。孤独、孤立、虚無をとことん書いた男らしい小説のようだ。またしても昭和が舞台。山下敦弘監督作品。
まさかとは思うが、年齢設定変えてこの主人公とか言わないよなぁ・・・。
<一部抜粋>
曩時北町貫多の一日は、目が覚めるとまず廊下の突き当たりにある、年百年中糞臭い共同後架へと立ってゆくことから始まるのだった。 しかし、パンパンに朝勃ちした硬い竿に指で無理矢理角度をつけ、腰を引いて便器に大量の尿を放ったのちには、そのまま傍らの流し台で思いきりよく顔でも洗ってしまえばよいものを、彼はそこを素通りにして自室に戻ると、敷布団代わりのタオルケットの上に再び身を倒して腹這いとなる。
そしてたて続けにハイライトをふかしつつ、さて今日は仕事にゆこうかゆくまいか、その朝もまたひとしきり、自らの胸と相談をするのであった。
その貫多は十日ばかり前に十九歳となっていたが、未だ相も変わらず日雇いの港湾人足仕事で生計を立てていた。
中学を出て以来、このときまで全く進歩もなく日当の五千五百円のみにすがって生きる、不様なその日暮しの生活を経(た)てていた。
無論、貫多とて何も好きこのんでそうなっていたわけではない。根が人一倍見栄坊にできてる彼は、本来ならば自分と同年齢の者の大半がそうであるように、普通に大学生であるのを普通に誇っていたいタイプの男なのである。当たり前の学問と教養を、ごく当たり前に身にまとっていたい男なのである。
** amazon のこのコメントが秀逸 **
『苦役列車』が優れているのは、もたざる者の声を代弁してるからではない。もたざる者が怠惰な海に心地よく浸ったときの苦境をあますところなく描いているからだ。
これで、「ALWAYS 三丁目の夕日'64」「セイジ -陸の魚-」「北のカナリアたち」「苦役列車」と1年に4本も出演映画が並ぶ。
釣瓶さんのコメントだとスケジュールは2013年まで入っているとのこと。
この小説、芥川賞を受賞している。孤独、孤立、虚無をとことん書いた男らしい小説のようだ。またしても昭和が舞台。山下敦弘監督作品。
まさかとは思うが、年齢設定変えてこの主人公とか言わないよなぁ・・・。
<一部抜粋>
曩時北町貫多の一日は、目が覚めるとまず廊下の突き当たりにある、年百年中糞臭い共同後架へと立ってゆくことから始まるのだった。 しかし、パンパンに朝勃ちした硬い竿に指で無理矢理角度をつけ、腰を引いて便器に大量の尿を放ったのちには、そのまま傍らの流し台で思いきりよく顔でも洗ってしまえばよいものを、彼はそこを素通りにして自室に戻ると、敷布団代わりのタオルケットの上に再び身を倒して腹這いとなる。
そしてたて続けにハイライトをふかしつつ、さて今日は仕事にゆこうかゆくまいか、その朝もまたひとしきり、自らの胸と相談をするのであった。
その貫多は十日ばかり前に十九歳となっていたが、未だ相も変わらず日雇いの港湾人足仕事で生計を立てていた。
中学を出て以来、このときまで全く進歩もなく日当の五千五百円のみにすがって生きる、不様なその日暮しの生活を経(た)てていた。
無論、貫多とて何も好きこのんでそうなっていたわけではない。根が人一倍見栄坊にできてる彼は、本来ならば自分と同年齢の者の大半がそうであるように、普通に大学生であるのを普通に誇っていたいタイプの男なのである。当たり前の学問と教養を、ごく当たり前に身にまとっていたい男なのである。
** amazon のこのコメントが秀逸 **
『苦役列車』が優れているのは、もたざる者の声を代弁してるからではない。もたざる者が怠惰な海に心地よく浸ったときの苦境をあますところなく描いているからだ。
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