「RE」ほか 土田英生さんインタビュー2012/06/19 17:41

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MONOの新作公演から始まり、リーディングドラマ『Re:』、演劇集団 円への書き下ろし、〈土田英生セレクション〉の第2弾……と留まることなく駆け抜ける2012年。自分の劇団もビッグプロジェクトも、淡々とこなすイメージのあるクリエイター、土田英生はいったいどのようにそれぞれの作品に挑んでいるのだろうか?

――MONOの久しぶりの新作『少しはみ出て殴られた』のプレスリリースで土田さんは「何を書きたいのか迷っていた」と明かしていましたね。

「これまでの劇作家生活で、テレビも含めるとおそらく100本以上は書いてきました。若い頃は“次はこれを書こう、その次はあれを”と続々テーマが沸いてくるんですが、この歳になるとそれも一巡してしまう。ふっと思いついたものも、“前あの芝居で書いたな”とか、どうしても以前書いたモチーフと似たものになってくるんです。それをどうするのか、自分のモチベーションをどう保つのか、難しくなってきてはいた。外部の方から頼まれるプロデュース公演は“こういうものを書いてほしい”という要望があるから、それをとっかかりに書いていくことができる。でも、劇団の作品はいちばん自由にできる分、純粋に一から作り上げなくてはいけない。今回の『少しはみ出て殴られた』は、久々に書きたいという思いが強くあったので形にできました」

――その強い思いはどうやって生まれたんですか?

「ちょっと前から、非常にみんなが殺伐としているなと感じていたんです。震災があって、その雰囲気がより濃厚になった。インターネット上でも断定的な意見を言う人が目立ったり、政治についても政策以前に立場だけで批判するような、感情が先走った意見が目に入るようになって。なんでこんなにみんな、対話する余裕がなくなったんだろう?って思っていた。もちろん芝居は啓蒙するためのものではない、単なるエンタテインメントなので、観て楽しんでもらえればいいんです。ただ、芝居でできることってなんだろうと考えた時、政治や社会の仕組みを云々する前に、やっぱり人の業に目を向けたい、興奮に水をかけたいと思ったんです。そんな大層な話ではなく、“冷静になろうよ”ぐらいのことなんですけど」

――客演として岡嶋秀昭さんと、ヨーロッパ企画の諏訪雅さん、中川晴樹さんの3人が入ったことで、これまでのMONOとはちょっと違った空気が感じられました。

「人の好みってあんまり変わらないんですよね。僕はMONOのメンバーが好きだし彼らと作品を作り続けていきたいけれど、それだとやる前から結果が見えてしまう。だからこそ新しい風を入れたいという思いがありました。どの団体でもそうだと思うんですけど、出てきはじめの時期ってめちゃくちゃ楽しい。MONOは比較的オーソドックスな芝居をやる劇団ですけど、それでも最初の頃は僕らが一番新しいんだっていう自負がありました。そこからだいぶ歴史を重ねていますから、若い世代のいいところを盗みたいっていう狙いもあります。ヨーロッパ企画ってすごく面白いけれど、僕自身の好みからすると少しユルすぎるかなって思う部分もある。でも、翻ってMONOを見てみると、カッチリしすぎじゃない? ユルい方がいいんじゃないの? という気持ちになる」

――そこであえてそのユルさを取り入れてみようと?

「そうです。今までだと客演の人もMONOに合わせてもらうように演出していたんです。でも、今回のダメ出しではヨーロッパメンバーには“ヨーロッパの公演よりはカッチリやってくれ”と話し、MONOのメンバーには“ヨーロッパのふたりに引きずられてほしい”と伝えました。もうひとりの客演の岡島君は派手な芝居をする人だから、岡島君には“流れさえ押さえていてくれれば、あとは好きにやってほしい”と頼んだ。そうすることによってMONOっぽさを残しつつも、その間から生まれてくるようなもの、今までなかったものができないかと思ったんです。今回の稽古はやってて楽しかったです」

――MONOの公演が終わると、4月には演劇集団 円への書きおろし『胸の谷間に蟻』の公演がありますね。

「女性3人が主役の作品なので、わりと単純におっぱいを連想しました。僕おっぱいが好きだから、一回ぐらいそれを軸に書いてみようかなって(笑)。下着メーカーの三姉妹の話です」

――続けて5月には『燕のいる駅』の公演が控えています。この〈土田英生セレクション〉は過去の作品をキャストを変えて再演するシリーズで、今回は1997年発表作を自ら脚本に手を入れてリメイクするそうですね。初演の時と変更するポイントはどこにあるんでしょうか?

「最初は不自然なところだけを直そうというぐらいの気持ちだったんです。でも、この作品で描いた“世界が静かに終わっていく時間”という設定が、いまやわりと現実味を帯びるようになってしまった。稽古は再来月には始まりますが、正直僕の中で迷いはあります。あんまり現実に寄り添うのもおかしい。でももはや絵空事では済まされない。いまの自分の感覚を信じて、引っかかる部分を直していくしかないですね。初演は20代が中心の若いかわいい芝居だったから、それを大人の芝居に変えるという作業もあります」

――この作品に関してはキャスティングにもかなり関わっているとか。

「〈土田英生セレクション〉では、ほぼ自分がやってみたい人に声をかけさせていただいてます。ポイントとしては、パスが回せる人。MONOの演出の時、僕は“シュートは打つな、パス回しの芝居をしてほしい”ってよく伝えるんです。だからMONOのメンバーはパス回しがすごくうまいけど、シュート力に欠ける(笑)。外部公演では華のある人に出てほしいという思いはあるけれど、パスが苦手な人と芝居をするのはしんどいから、シュート力もありながらパスも回してみたいっていう人を集めたつもりです。中島ひろ子さんは、映画『桜の園』の頃から大ファンなんですが、初舞台なんですよ」

――〈土田英生セレクション〉は、自由に作れるMONOと、メジャーなキャストでやるプロデュース公演のちょうど間のような存在ですね。

「やったことをないことがやりたい、欲求不満になっているところを埋めたいというのはあります。MONOでしかできないこと、プロデュース公演でしか満たせないもの。その間にこの土田英生セレクションがある」

――もうひとつ、3月に古田新太さん×宮沢りえさん、生瀬勝久さん×仲間由紀恵さんらによるリーディングドラマ『Re:』も控えていますね。ちょっとひるみそうなほどの豪華キャストですが……。

「そりゃビビりますけど、やることを普通にやるしかないなって思っています。僕、まだ全然世の中に知られていない頃にやった外部の仕事がいきなりSMAPの草彅剛くんによるリーディング『椿姫』でしたから。しかも同じ年に初の連続ドラマ(『柳沢教授の優雅な生活』)の脚本も経験した。正直、初の連ドラの時はそのすごさがわからなくて、プロデューサーに“書きたいやつはいっぱいいるんだからもっと自覚持て!”って怒られたぐらい」

――その経験があるからでしょうか、土田さんは臆せずにどんな規模の仕事にもチャレンジする人という印象が強いです。

「『椿姫』稽古初日、取材陣もずらっと並んでいるなか、プロデューサーから“ここからは公開稽古ですから、作・演出の土田さんどうぞ”とマイクを渡された時のことは今でも忘れられないですよ。“あのー、えーと”って声が裏返っちゃった。でもそうなったらしゃべるしかない。その経験で自分がちょっとずつ強くなる。もちろんまずは自分の心地いいことをやるべきだと思います。でも心地いいことだけをやっているとどんどん小さくなっていく気がするんです。絶対無理なことはやっちゃだめですけど、時々ちょっと無理なところに自分を置く。そりゃ緊張もするしうろたえるけれど、それを乗り越えたら、そのレベルの仕事はクリアできるようになるじゃないですか」

――狂言のようなまったく異なるジャンルの作品を手がけるのも「無理なところに自分を置く」一環ですね。

「もちろん狂言だって、最初に話が来たときは言葉遣いも能舞台のルールもまったく知りませんでした。でも頼んでくれてるってことは、先方は僕ができると思ってるわけだから、全然無理なわけではないはずなんです。そこで『狂言ハンドブック』という本を買ってきて、能舞台の構造をいちから勉強して書いてみたら、正しいかどうかはわからないけれど一応書けた。この間2作目の狂言を書いたんです。その時はもう“次どんな狂言にするー”って話できるぐらいにはなってる(笑)。僕自身、ミーハーでおめでたいタイプってこともあるんでしょうね。話が来た時に“わ、あり得ないな”と一瞬思っても、“こんなのがきた、ワーイワーイ”って受けてしまう」

――いま、若い世代に「もっと売れよう、大きな仕事をしよう」という意志の強い作家が減っている印象があります。そんななかで果敢にチャレンジしていく土田さんの姿は観る側からしても頼もしいです。ペンギンプルペイルパイルズの倉持裕さんに話を聞いた時も「自分は大きな作品をめざしたい」という話がありました。

「劇団も大事にしながら外部の仕事の積極的にやるという姿勢は、倉持君と共通するところがあると思います。最近の若い子は……って、こんなことを言う大人にはなりたくないけれど、確かにちょっと欲が希薄だなって感じることがある。大きな作品に関わりたいとか、自分で動いて作品つくろうとか、そういう気持ちを持っている人はいないことはないですけど、絶対数が少ない気がするんです。たとえば単純に女の子に対する気持ちも薄い。飲みの席に魅力的な女の子がいたら、僕だったら男全員が狙ってるって考えるし、負けないように全力でしゃべりかける。でも今の若い男の子たちは同じ土俵に乗ろうともしないで、一緒になって笑っていたりするんですよね。欲望は大事だと思うんです。女性にモテたい、よく見られたいという思いって活動の原動力ですよ。タイプは違えど、倉持君だって僕と一緒でスケベだと思う(笑)」

――今年は例年にも増してかなり盛りだくさんですが、テレビドラマの脚本は最近ご無沙汰ですね。

「テレビからは2年ぐらい離れてたんで、またやりたいなと思ってます」

――劇作家の方がドラマの脚本を書く機会はかなり増えたように思いますが、宮藤官九郎さんのようにドラマの常連にまでなっている方はまだまだ少ないのが現状です。その中で土田さんはかなり多くのドラマを手がけていらっしゃるので、今後にも期待が募ります。

「まだお会いしたことはないんですが、宮藤官九郎さんは天才だと思います。一度TBSの廊下ですれ違いそうになったんですが、“あ、噂のクドカンだ!”と緊張して隠れちゃった(笑)。僕、テレビ局行くの大好きなんです。小劇場あがりの悲しさか、なんか出世した気がしちゃうんですよね。テレビ局のドラマ制作部に行くと、昔関わったスタッフの方がえらくなってたりするんです。“おお、土田君!”なんて声かけられると嬉しくてしょうがない。用事終わってもしばらく帰らなかったりします(笑)。以前組ませていただいたプロデューサーが別の部署を経て最近またドラマ班に戻ってきたんです。僕、一緒に飲んだその日にシノプシスを送りました」

――芝居もたくさんありますし、これからの土田さんの活動が楽しみです。

「まだありますよ。秋には演劇を始めたばかりの子たちと小さな芝居をやろうと企画してます。他には映画撮ることとか、考えなくもないですけど、やっぱり芝居を打つというこの営みが好きなんですよね。あ、海外での公演はぜひやりたいです。韓国で『悔しい女』を上演したらけっこううまくいったので」

――土田さんの書かれる作品は、初演の時は「このキャストがぴったり」と思うのに、各所で再演されるたびに新たな面白さが見つかるところが魅力のひとつですね。

「世間から注目されたような記憶は一回もないから、僕自身ブレイクしたことはないって自覚はしてるんです。でもわりと上演はいろんなところでずっとしてもらってるのはありがたいことですね。下北沢を歩いてるとたまに“あ、おれの芝居やってる”ってことありますもん」

――脚本に力があるんだと思います。今伺っただけでも盛りだくさんですが、長期的な野望を教えてください。

「長生きしたい。年齢的にではなくて、“あの人、昔面白かったよね”って言われるのは絶対にイヤなんです。別役実さんみたいにずっと現役でいたい。そのためにもいろんな仕事を手がけたいんです。もうひとつ、関西の演劇界を元気にしたいと思ってます。一時、地方からたくさん劇団が出てきて盛り上がった時期がありました。昔ならば関西である程度もまれて東京公演を打つことができた劇団は、必ずしばらくは東京でも人気を獲得できた。関西が東京に刺激を与える存在だったんです。でも最近また少し元気がない。京都を拠点としていた劇団も少しずつ東京に行ってしまっている。だからこそ僕は京都にこだわって続けていきたい。"京都"って大きく胸に書く感じで頑張ります(笑)」

「南部高速道路」 長塚さんインタビュー2012/06/19 20:12

@ぴあ 全文引用
 「音のいない世界」にも言及してくれている。

外部演出から新作、再演まで、今年手掛ける演劇作品は実に5本と、精力的に活動する長塚圭史。構成・演出を手掛ける新作公演『南部高速道路』は、高速道路の渋滞にはまった人たちの奇妙な交流を描いたアルゼンチンの作家フリオ・コルタサルの原作小説を元に、俳優とのワークショップを重ねて作り上げるという。その走り続ける創作現場の内側に迫った。

――今回、フリオ・コルタサルの短編小説『南部高速道路』を元に作品を作ろうと思ったきっかけから聞かせてください。

「もともと南米文学が好きで、ボルヘスあたりからいろいろ読み進めていくうちにコルタサルの名前も出てきて、文庫の短篇集が手軽だったので読んでみたんですね。これが面白くて。なかでも『南部高速道路』は、その時から「演劇の題材になるかもしれない」と思っていたんです」

――いつ頃のことですか。

「3年前ぐらいです。ちょうど留学先のイギリスから帰国した時期で、同じタイミングで世田谷パブリックシアターから「小説を題材にした舞台を」っていうオファーがあったので、これはぜひ試してみたいなと」

――あらかじめ台本は用意せず、俳優とワークショップをしながら作っていると伺いました。

「ええ、全員が出演できるわけではない状況で、とても豪華なキャスティングを組んでいただき、2回ワークショップをやりました。1回目が去年の4月ですね。あまり上手くいかなかったら作品を変えることも考えていたんですけど、このワークショップがかなりいい感じだったんです。震災の直後だったので、「なぜいま演劇をやるのか」っていう意味でも、みんなすごく集中力が高かった」

――渋滞がありえないほど長期化することで互助的なコミュニティが生まれていくっていう原作の描写には、被災地のことを想起させられたりもしたんじゃないでしょうか。

「まさにそのとおりで。以前から用意していた原作とはいえ、どうしても繋がってしまうことが多くて、かなりハードではありましたね。ただ、そういう状況下でワークショップをするということ自体、意味のあることだろうと。俳優が誰かを演じるということは、想像力を駆使して誰かの想いに繋がろうとすることでもあるので」

――そうした社会とのシンクロもありつつ、「渋滞」という状況自体は誰にでも身に覚えのあることですし、同時に、演劇としても面白くなりそうな題材だとも思います。

「「閉じこめられている」という意味では密室劇のようであり、かつ密室ではないですからね。日常的な状況から非日常的な地点へ飛躍するという原作の構造を演劇的思考で読み解いていくのは、とてもスリリングな作業でした」

――ワークショップで作られる部分と原作との兼ね合いはどんなふうになっているんですか。

「全体の進め方から話すと、最初、俳優にはちょっとした設定――職業や、家族構成や、その日が何の日かなど――を書いたメモだけを渡して、あとは自分で考えてもらい、インプロ(即興)で芝居を作るんです。そうやって何回かインプロを重ねて。ただ、最終的にそれをどの程度、台本のカタチにするのかっていうのが悩みどころでしたね。これ、本気でインプロだけで組み立てるとしたら、まるまる1年かかるなと(笑)。しかも、観客にとっては、見方が掴めないまま終わってしまったり、即物的な面白さだけになってしまったりする可能性がある。となると、やはり僕がインプロからインスパイアされたテキストを書いて、余白も残しつつ、台本にしようと」

――俳優もまた錚々たる面々です。

「赤堀(雅秋)さんなんかは、客観的な視点を与えてくれるのでありがたいですよ。赤堀さんが「こんなこと言っていいのかわからないけど……」って前置きしてくれるんですけど、僕としてはどんどん言ってほしいし、「むしろ、それちょうだい!」って(笑)。ただ、最終的に台本にすると、そこに僕の思考がグンと入ってくるのも事実で。だから、ちょっと僕の新作に近い部分もあるんですけど、観てもらえれば、誰が何と言おうと『南部高速道路』になっていると思います」

――舞台美術はどんなものになりそうですか。

「シンプルだけど、劇場に入った瞬間から何か始まるなって期待できるものになりそうです。何もない空間でもできるのが演劇のいいところで、震災以降、そのことをより意識するようになりましたね。一方で、舞台を飾り込むのも面白いんですけど」

――3月にシアターコクーンで長塚さんが演出された『ガラスの動物園』(作:テネシー・ウィリアムズ)も、今回と同じく二村周作さんによる大がかりで素晴らしい舞台美術だったと聞いてます。

「コクーンの大きさになると、舞台美術も、演劇フリークではない一般の人たちへのアプローチが必要だと思うんです。だからシンプルなのも飾り込むのもケース・バイ・ケースで考えています。『南部高速道路』については、カッコつけた感じよりも、ちょっと泥クサくするぐらいがいいと思っているんです。原作が南米文学という時点でちょっとカッコいいじゃないですか?(笑)。でも、ちゃんと日本に置き換えて、日本人の話を作っているんだよって部分が見えてくるといいなと」

――設定を日本に置き換えることは、当初から考えていたんですか。

「それが全然思っていなかったんです。初めは原作に登場するクルマの車種について調べたりもしてましたから。ワークショップを始めてからですよね。インプロで俳優に自分の車種を決めてもらったら、プリウスとか、サニーとか、自然と日本のクルマの車種になったんです。すると面白いのが、車種がわかると、その人のバックボーンがだいたい想像つく。収入とかこだわりとか。あ、これでいいじゃんって。そもそも原作に出てくる車種や、それこそ高速道路が実際にどこにあるのかなんてことよりも、どうやったらシンプルな見立てで渋滞を作れるのかとか、どうやって時間を飛躍させるのか、といったことのほうが、『南部高速道路』をやる上では重要じゃないかと。もちろん僕は原作の小説を何回も読んでるので、日本に置き換えても、その印象から離れることはないですし」

――今年は1月の『十一ぴきのネコ』(作:井上ひさし)の演出に始まり、『ガラスの動物園』、『南部高速道路』、葛河思潮社での『浮標』(作:三好十郎)の再演、年末に予定されている『音のいない世界で』と、5作品を手掛けられる予定です。年間本数としては、長塚さんにとって最多になるんじゃないですか。

「そうかもしれないです。常に、次の作品の制作スタッフから追われていますよ(笑)」

――その多忙な中、昨年発表したばかりの『浮標』の再演を決めたのは?

「『浮標』は、1930年代という日本に大きな何かが起こりつつある時代の話です。昨年、その『浮標』を上演した直後に震災がありました。言葉は難しいですけど、おそらく震災前と震災後で、俳優の身体を通るセリフも変わるし、お客さんに伝わる言葉も変わってくるんじゃないかと。もちろん復興にはまだ時間がかかるでしょうし、慌てる必要はない。ただ、そういったことで何か考えるきっかけになるのであれば、いま再演することにも価値があるんじゃないかと思ったんです。なので一度観た人でも、できればまた観てもらいたいですね」

――『浮標』は長塚さんが立ち上げた演劇ユニット・葛河思潮社の第1回公演でもありました。葛河思潮社は、阿佐ヶ谷スパイダースの『アンチクロックワイズ・ワンダーランド』の作中人物であった作家・葛河梨池の思想を基点に活動すると宣言されています。葛河の思想について改めて聞かせてもらえますか。

「ものすごい観念的な話なんですよね。この僕たちに見えている物質的世界は、触ることはできるけど、本当は僕たちの思念でしかないんじゃないか。であれば、僕たちが存在しているとはどういうことなのか。物語の登場人物とどう違うのか。そういう物の見方は、観念的ですけど、生や死や生命といったことを考えることと、とても近いことだと思っているんです」

――『アンチクロックワイズ・ワンダーランド』は、様々な解釈のできる作品でしたけど、僕には劇作家・長塚圭史の「私演劇」のようにも感じられたんですよね。

「たしかに僕の中のある部分を引きずり出しましたからね」

――長塚さんにとっては、葛河梨池を生み出さざるをえない背景があったりしたわけですか。

「生み出すというよりは、現実的にそうなっていたんです。かつて僕は、やりたいことのできる環境なんだけど、それはイコール、常に新作を要求されることでもあるっていう時代があり、このままだといつか作品を生み出すことができなくなるなっていう危惧に陥ってしまい、海外へ脱出……みたいな(笑)、そんな流れがあったわけです。だから帰国してからは、単純に「僕の生み出した世界です」とか「面白いストーリーでしょ?」っていうものだけではなく、もっと観る側に作用していくような芝居を作りたいと思ったんですね。ただ、かつて悩んだ経験があったからこそ、「物語とは何か」っていう疑問とも徹底的に向き合うようになり、さらに葛河梨池が誕生したことで、彼ともいろいろ相談できるようにもなりました(笑)」

――長塚さんは劇作も演出もされますけど、帰国後は演出家としてのウェイトが高まっていて、それも作品ごとにケース・バイ・ケースで良さを引き出しているように見受けられます。

「いや、ホントそこが楽しいんですもん。どの作品も基本的に土台の作り方は一緒なんですよ。みんなで円になって、立ち稽古もそこでやって、役もグルグル変えて、徐々にお客さんのことを想定していく。「立ち位置どこ?」とか聞かれることもありますけど、「それは劇場に入らないとわからないし、いまは自分で考えてみようよ」って。まずは自分の頭で考えてみる。その作業がなかったらつまらないじゃないですか。だから僕はできるだけギリギリまで決めごとをしないんです。俳優にしてみたら、自分からやるのとやらされるのとでは違う。僕は、俳優というのは自ら思考する人たちだと思うので、13人の俳優がいれば、13人なりのアプローチがあってほしい。その上で、初めて僕も彼らに強く働きかけていくことができますから」

――年末に新国立劇場で作・演出を手掛ける『音のいない世界で』は子供も大人も楽しめる作品になる予定だとか。

「もともとは僕が首藤(康之)さんと飲み屋で話していて、「音が盗まれちゃったらどうする」「そりゃ追っかけるでしょう?」みたいな話をしていたら、どんどん転がっていって。これぜひ公演でやりましょうってことになったんです」

――発想とかディテールから作品が生まれているのが面白いですね。

「僕はテーマで演劇をやってるつもりがないんですよ。例えば、なぜ『南部高速道路』なのかっていうのも、渋滞というシチュエーションが想像をかきたてるとか、演劇の「見立て」という本質とリンクするものがあるとか、いろいろありますけど、つまるところは、「僕が面白いと思うから」なんです。じゃあ、何で面白いの? と聞かれても、理由はないんです。僕は南米文学を説明するときに、「どうして好きか」なんて話はしないですし、「どういう話なのか」をするだけなんです。ボルヘスの『砂の本』に、無限のページを持つ本にとりつかれる男が出てきます。その本はどのページも挿絵が違っていて、でもどこかのページに同じ挿絵が出てくるんじゃないかって探しているうちに生活も何もかもどうでもよくなってしまう。やがてその本を守るようになり、人がくると警戒するようになったりして、とうとう自分の異様さに気付いて図書館の奥の誰にも見つけられない場所に隠しに行くっていう。この話の何が面白いか? 「それはね、人間っていうのはやっぱり……」なんて言葉にした瞬間に消えてしまう感覚があるんです。その感覚こそが、僕が演劇で追い求めているものなんですよ」

――たしかに、その感覚は阿佐ヶ谷スパイダースの作品にも通底していますね。

「そう、初期の阿佐ヶ谷スパイダースではわからずにやっていたんです。ただ、いまはそういう志向があると自覚しているので、その上で、さらに自分の知らない領域にまで行ければと思っています。演劇って、原始的な想像力をいろいろ働かされるじゃないですか。ある種の感動もあり、歌もあり、踊りもある。そして、そこには、「答えはないし、何だかわからないんだけど……」っていう高揚もあると思うんです」

――それを聞くと、コクーン歌舞伎の脚本を手掛けられたときに、鶴屋南北の『桜姫』を、舞台を南米に置き換えて不条理劇として再構築されていたのもわかる気がします。

「あのとき書いてて面白かったのが、長い距離を歩いていく人たちが出てきますけど、演劇では、袖に入った瞬間に時空を超えられるんです。何年も何年も歩き続けて、数分後の世界にやってくるっていう。まさにコルタサルの世界に近い。ああいうことは理屈じゃなく、高揚しますね」

――最後の質問ですけど、長塚さんの目からいまの日本の演劇界はどんなふうに映っていますか。

「とにかく僕より若い演劇人が何をやっているか気になってしょうがないです(笑)。ほら、僕たちの世代はわりと上を見て、劇場のクラスとかを上げていくことに必死でしたけど、いまの若い人たちって自分たちのスペースでやれればいいっていう感覚が普通になってきているじゃないですか? そのこと自体は、演劇の多様性を考えればプラスだし、バランス感覚もいいなと思うんですけど、一方で、あるスケール以上の劇場を扱える演出家の欠乏も感じています。ま、僕もどんどんやっていくだけなんですけどね。今回、ワークショップに時間をかけたのも、そういう作り方を若い人だけの専売特許にしておくのが悔しいからというのもあるんです(笑)。べつに競うつもりではないんですけど、いろんな可能性を試したいですし、僕の作品にも、どんどん新しい世代の人たちに入ってきてもらおうと思っています」

「The Bee」 野田秀樹さんインタビュー2012/06/19 21:02

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現在、ワールドツアー真っ最中の『THE BEE』。〈English Version〉と〈Japanese Version〉の2作がここ日本でも観られる絶好のチャンスに恵まれるわけだが、単なる作品インタビューだけをしてもつまらない。なにせ、野田秀樹である。答えられないことはないんじゃないかという知の巨人である。そこで選んだテーマは“フィジカルと言葉”。稀代の表現者は、自己のそして演劇のなにを信じているのだろうか?

――フィジカルと言葉。表現者としての野田さんは、どちらを信じていますか?

「そのふたつを分けられるのは、中学生の時に『なに色が好き?』と女子生徒から聞かれた時のような感じがするな(笑)。質問の真意は、どういうことなんだろう?」

――インタビューという言葉をもらう仕事をしているのにもかかわらず、“フィジカルを伴った言葉”こそを聞きたいと最近感じるようになりまして。「愛してる」よりも「1回やらせろ」のほうがグッとくるというか。

「『1回やらせろ』はフィジカルを説明するための言葉だと思うけどね(笑)。でも、言いたいことはわかるし、いまの説明で答えの半分は出ているんじゃないかな。"フィジカルを伴った言葉"という表現って、ふたつをわけていないよね? 俺が考える表現においても、フィジカルと言葉は離れがたいものだから。いまこうやってインタビューを受けている時だって一所懸命に手や目を使っているわけで、言葉を信じてもらうためには身体がちゃんとしていないと成立しない。逆もあってさ、じゃあフィジカルだけでいいかと言えば、語っていない身体はダメだから。昔、あるダンサーをロンドンで見た時、評価の高かった人なんだけど、バカが踊ってるとしか思えなかった(笑)。まぁ、俺の若い頃もバカが動いてるだけだったけどね」

――どういうことですか?

「フィジカル的に“すごく動ける役者になろう”なんて考えたことは一度もない。でも、芝居を始めた頃から、なぜか知らないけど動いていたわけ。で、その動きを『おもしろい!』と誉められたもんだから、『そうか、俺の動きはおもしろいのか』と調子に乗っていった。しかも、若い頃は跳躍力もあったから、『すげぇ飛んでしかも喋ってる!』なんて評価を受け、さらに調子に乗ると(笑)」

――その初期衝動からキャリアを重ねたいまは?

「キャリアを重ねたというよりも、単純に年齢の問題があるから。年を取ると飛べなくなるんですよ。そして、苦しくなる。苦しいのに飛ぼうとして、そんな自分と何年ぐらい戦ったのかなぁ。35歳前後の5年間ぐらいかなぁ。なんかね、その頃は、わざわざ楽屋に来て『最近、飛べなくなったね』とかいう無神経なひとことにイラっときて『くそ。明日から走り込みだ』とか自分に鞭を打っていた気がする(笑)。でもまぁ、さっき言ったように、俺の場合はフィジカルだけじゃなく言葉も武器だと思っているし、フィジカル面だけで言っても、動けない人が動くというのは演技としてものすごくおもしろいわけでしょ? 演劇や芝居というのは必ずしも数字で計れる世界じゃない。低い数字が限界に挑む姿がおもしろかったりするから」

――苦しいのに飛ぼうとしていた時期の1987年。初めてエディンバラ国際芸術祭に招待された時の感情は覚えていますか?

「もちろん、覚えてる。……もうね、夢のようでした。当時は日本の若い劇団が突然に海外のフェスティバルに呼ばれるなんて絶対になかったから。評価は総じて良かったように記憶している。もっとも、悪い評価もあったんだろうけど、当時は英語もよくわかんないから、とにかく誉めてくれているものだけに目を通してね(笑)。あまりにも嬉しかったものだから、自分としては好きじゃないのに、『ファントム』(『オペラ座の怪人』)の初演を勢いで観てしまったほどで。ところが、内容はともかく、劇場や観客には嫉妬しまくりだった。演劇がかくも愛されているということ。掃除の仕方からもスタッフが劇場を愛していることが感じられたし、会場に来ている観客の拍手からも演劇を愛してやまない雰囲気が漂っていて。役者からも、有名になりたいという不純物が混ざっていない感じがして」

――不純物? 役者が有名になりたいと願うのは不純物なのでしょうか?

「もちろん、『ファントム』に出ていた役者にだって、有名になりたいとの思いがゼロなわけじゃないとは思う。でも、たとえば演劇と音楽を比較するなら、再生可能か否かという点において圧倒的に別物。音楽は再生可能な表現だから、売れちゃったら一夜にしてすごいことになる。でも、演劇というのは、シンデレラストーリーが存在しづらい。だって、どんなに多くの人が演劇を観たといったって1回の舞台に限って言えば1000人とかがせいぜいでしょ? でも、音楽ならばCDや配信で世界中に表現を届けられる。しかも、演劇の場合って、初日に『これはすごい舞台になる!』と感じた作品が回を重ねるごとに『あれ? 意外とのびしろがなかったぞ』と思うこともあるし、初演時は好評を博したのに、再演した途端にダメになってしまう可能性だってある。それが、演劇のおもしろさであり恐ろしさなんだけど、それって数値化できないということでもある。CDのように売り上げ何億枚とかの数字ですごさを裏付けられない魅力。それが演劇というものの正体のひとつだと感じるんだけど、ま、ひとことで言えば、所詮、演劇だから(笑)」

――「所詮」という言葉に、野田さんのフィジカルが伴っているように感じました。額面通りに受け取っちゃダメな言葉だぞと。

「ふふふ。どうなんだろうね(笑)。ただ、エディンバラ以降、ロンドンの仲間と一緒にやっていると、自分自身から余計なものがそぎ落ちていく感覚はある。純粋に演劇に集中している。家を出て電車に乗って稽古場に行って、ふつうに生活しているだけなのに、ちゃんとピリピリしていて。その集中がずっと持続できている感覚があるんです。自分でもなんでだろうってよく考えるんだけど、いまだに答えが出なくてね」

――野田さんがロンドンの仲間と作った傑作が『THE BEE』。2006年にロンドンで初演され、今回、待望の再演が決りました。

「脚本を書いている時に、『絶対おもしろくなる!』という手応えを感じた作品が、これまでに何作かあって、『THE BEE』もそんな手応えを感じた1本でした。でも、それは自分だけの手柄じゃなくて、筒井康隆さんの原作の素晴らしさとロンドンで重ねたワークショップの賜物だと思う。『THE BEE』はロンドンが初演だったから、まったく自信がなくて、だからこそディスカッションすることが重要だった。筒井さんの原作には、被害者の心象風景が描かれていなくて、そこがポイントになる予感があった。たとえば、戦場にいる人間というのはとても非日常的なことが日常となる。いままで隣りでふつうに生活していた人が、突然死んでしまう。だからといって、警察に通報するわけでもなく……。そんな感情をみんなで徹底的に語り合った。だから、『THE BEE』は、脚本だけでなく、ワークショップも含めて、『おもしろくなる!』という手応えが続いた作品だったんだけど、結局、そこなんだろうね」

――そこがどの点をさすのかが気になります。

「役者サイドではなく、脚本家としての話をするとさ。作家なんてものは、作品を書き終えるまではたいがいが暗いもの。でも、なんでそんな暗い作業と向き合えるかっていったら、おもしろがってるかどうかが重要となる。自分の思いつきを信じられていなかったり、おもしがっていられない時に書いていると、仕事化していってしまう。俺、こういった取材とかを『仕事』と言うことはあっても演劇に関しては仕事だなんて思ったことがない。"人間とは遊ぶ動物である"という言葉を信じている古いタイプとしては、仕事=ネガティブワードなわけ。そんな男がさ、脚本を書く際に仕事化しちゃったら最悪でしょ? 実際、仕事化して書いた脚本は絶対におもしろくならない。つまり、俺の場合は絶対に仕事化しちゃダメだぞって」

――『THE BEE』を見て一番感じたのは、「あぁ、人間にはこういう部分があるよなぁ」という感想でした。今回の取材のため、本作の背景には911以降の世界が描かれているとの事前情報を知りつつも、そんなことより、いまそこに立っている役者たちのやりとりが気になって仕方がなかったのです。

「それはいい。いや、そういうことですよ。実は『THE BEE』はアメリカにとってのテロリストを描いているだとか、そんなことを観客に思わせたらダメだと俺は思っているから。観ている人がその場にいることを忘れて、いつの間にか舞台との境が解けていく瞬間。そういう瞬間こそが俺の思う演劇だから。とくに『THE BEE』はそういう作品だと思う。たとえば、人質の指を鉛筆に見立てているんだけど、その家に押し入った男がその鉛筆を折ると。その時、舞台上で折られているのは鉛筆だよね? でも、観てくれている人が実際に人間の指が折られているように感じてくれたなら……。そういうところまでいけた時って、作品としてすごくいいことだと思う」

――日本での再演が楽しみでなりません。最後にNHKのような質問を。算数の数式で、野田秀樹-演劇。=の右側にはなにが残りますか?

「……そういう計算式って成り立つのかなぁ。ゼロって答えると俺=演劇であり、俺にとってのすべてが演劇ってことになるんだろうけど、そういう思考じゃない気がする。だって、俺という存在よりも、演劇という世界のほうが断然大きいと思うから。自分だけのものじゃないからね、演劇って。たとえば、歌舞伎の舞台でも、お囃子などの表舞台を支えている人数分×彼らが子どもの頃から費やした時間×歴史だから。そこから聞こえてくる音に叶うわけねぇよなと感じる瞬間もある。それぐらい演劇という世界は、とてつもなく大きいと思う。俺ひとりなんかじゃまったくかなわないほどに、ね」