Perfume「spending all my time」PV2012/08/01 22:13


中田さん、神じゃ。かっけー曲!

野田秀樹さんの「小道具礼賛」2012/08/07 21:49

 ここに記載があるが、もし削除されたら怖いので、ここに同じものを記録。
 確かに、演劇と映像の違いは・・・と頷くばかりだった。

「小道具礼賛」

 この『THE BEE』という作品ほど、身体とセリフとそして小道具とが三位一体にならないと成立しない芝居もない。小道具を抜きでこの作品は語れない。と私は思っている。
 元々私は若い頃、芝居のテーマの扱いよりも小道具の扱い方こそが重要であると信じていた。それは今でも変わらない。
 例えば、この『THE BEE』を引き合いに出せば、やれ暴力の連鎖がどうだ、9.11がどうだとか言わてきたが、実のところ、私はそんなことのために芝居をやっているわけではない。もしもそれだけの演劇だったとしたら、この芝居はただの頭でっかちのつまらないもので終る。演劇にとって大事なものはテーマではない。小道具である。このことを世界中を回って改めて確信した。
 この芝居で、人々が暴力を語る時、それは「暴力」そのものではなくて「鉛筆の音」を意味している。
 芝居の世界では、そうした小道具の使い方を「見立て」と呼ぶ。私は近頃ますますもって、「見立て」こそが演劇の根源的な力だと思うようになってきた。
 芝居における男性による女役、或いはその逆、女性による男役が、すんなりと行くのは、舞台は「見立て」ることができるからである。舞台では、椅子を犬に見立てることもできるし、男を女に見立てることができる。大人を子供に見立てることも可能だ。これが、映像だと絶対に無理である。椅子は犬にならないし、男は女にならない。まして映像では絶対に、大人は子供に見えない。(映像で仮に男が女を見事に演じたとしても、それは女装として成功している男でしかない)
 さらに言うならば、舞台上では、何もないところにも何かがあるかのように見立てられる。それは、「見えない小道具」とでも言うべきか。窓があることにするとか、ドアがあることにするとか。かくて、「見えない道具」がそこに見えてくる。或いは「見えない場所」がそこに見えてくる。こうなると殆ど演劇にできないことはない。
 私の小道具を礼賛する、その究極の心には演劇の礼賛がある。小道具礼賛は演劇礼賛につながる。立派そうな話にも聞こえるが、要するに演劇は安上がりで済むという話である。何もかもが壊れてしまった場所においても、役者の姿が見えるだけの光さえあれば、太陽でもいい、月明かりでもいい、その光の下で、人間の体と言葉だけでやっていける。いくばくかの小道具の見立てと共に。
 私は、今ほど、テーマよりも小道具の方が重要だと考え続ける演劇人であって良かったなあと思うことはない。
見立てる力さえ磨いておけば、腹も減らない…ほんとか?

野田秀樹
2012/08/06

1991年版 ふくすけ2012/08/09 23:02


まずは、1/2。

そんでもって、つづき。

舞台「ふくすけ」 感想2012/08/11 14:00

@シアターコクーン M列15番

 まずは演出。大人計画さんらしい舞台装置、というか松尾さんらしいと言うべきか。
 全体的にこの社会、この世の仕組みみたいなものに対する若い頃の松尾さんの怒りがストレートに現れた戯曲だという気がしました。生まれてすぐにある不平等、不条理、誰にでも訪れる死は平等。誰でも親は選べないし、身体的な差、家庭の差、地域性いろいろな不平等や事故などの不条理。では、なぜ生きるのに宗教が必要なのか。信仰だけでは足りないのか。盛り沢山な舞台でした。特に答えはなくてもいいと思うし、エネルギーに溢れたいい舞台でした。
 笑いの要素をところどころに散りばめ、重い内容をそうと感じさせない演出でした。

 役者さんでは、阿部さんの長台詞と古田さんの佇まいがよかった。古田さんの純愛、サラサラストレートの髪がよくお似合いでした。それにしても、古田さんの声っていいなぁ。やはり役者さんには合う戯曲と合わない戯曲があると実感した。
 大竹さん、他の舞台のDVDでの印象から感情を外に放出し放題の感じに苦手意識があったけれど、生は良かったです。とくに最初。とにかく訴訟しまくる柄の悪さが笑えました。声の通りもよく、やはり良い役者さんなのだと思いました。
 多部ちゃん、今年2本目の舞台は嬉しかったです。声の通りは、サロメの時に認識済みだったので、今回はどんなキャラなのかに注目。しかし、売春を生業にする役とは驚きました。顔が小さく、バービー人形のようなバランス。最後の「延長しようよ~」の台詞が良かったです。

舞台「叔母との旅」 感想2012/08/11 19:00

@青山円形劇場 Fブロック 47番

 てっきり、青山劇場だと勘違い。劇場前にはジャニ系のファンが沢山、不安になって係員に確認すると、お隣?続きの建物の別会場でした。あ~、良かった。
 席は4列ポッキリ。しかも通路側の席だったので、脇を役者さんが出たりはけたりで、良い席でした。

 この舞台の伝説は十分に聞いていたので、後は初演クラッシャーにならないことだけを祈って観劇。すーーーーーーーーーーっごい良い舞台でした。4人が1人を演じることも、小野寺さんのステージングも、役者さんも全て素晴らしかった。これぞ演劇!!
 ステージの上には何もなし。上には各地の国名などがぶら下がっていただけ。該当の地が舞台になると、その地名がスルスルと降りてきて、お話が始まる前には上に戻っていった。トランクがいく様にも見立てられた。役者さんの衣装もスーツ、変わっても中のシャツの色が2幕で変わっただけ。それなのに、とてもとても面白かったのです。
 小さな箱だったので、生声でした。声は段田さんが良かった。よく通る、良い声でした。役者さん全員がこちらに背中を向けるシーンがあっても、全然苦にならない。背中から感情が感じ取れているような気にさせられました。とにかく頭を柔らかくして、その世界に没頭できて幸せでした。

 今のところ、今年NO1の舞台でした。

初演時のHP
再演時のHP

舞台「ボクの四谷怪談」 前情報2012/08/15 20:28

シアターガイド

 9月17日(月・祝)に、Bunkamuraシアターコクーンで幕を開ける、騒音歌舞伎(ロックミュージカル)『ボクの四谷怪談』。この上演に先立って、演出の蜷川幸雄、音楽の鈴木慶一、佐藤隆太をはじめとするキャスト・スタッフ一同が、舞台の安全と成功を祈願して『四谷怪談』ゆかりの寺社へ参拝した。

 鶴屋南北が、当時実在した女性“お岩さん”の名前を借りて、当時起きた事件を盛り込みながら、虚実ないまぜの物語に仕立てた『四谷怪談』。その上演の際には、ゆかりの地に参拝するのが慣例だ。一行は、東京・豊島区西巣鴨の妙行寺にて、お岩様の墓参りをした後、「お岩稲荷」と称されている、新宿区左門町の田宮神社と陽運寺にも参拝し、おはらいも受けた。

 『ボクの四谷怪談』は、作家・橋本治が、文壇デビュー前に書いた幻の戯曲。南北版をベースとした青春群像劇で、70年代風ファッションに身を包んだ若者たちが、生きる目的を探しあぐね、迷い、焦り、右往左往する姿を描く。

 これまでにも、舞台や映画で『四谷怪談』を手掛けている蜷川だが、「『ハムレット』のように何度やってもやり残した感覚がある」と語る。71年には、急進的な政治運動から転落していく若者を、01年には、バブルが弾ける中で転落する若者を主人公たちに重ねてきた。「明確な敵も見えず、ふわふわとした中に明るい地獄絵がある」と今を捉える蜷川が、本作でどんな現代を描き出すのかに注目が集まる。そして、「『四谷怪談』を軽やかに解体した、橋本さんの戯曲と巡り会ったのも何かの因縁。それこそ歌舞伎じゃないけれど、“さまよう名刀”が手に入ったような気分です(笑)。今までとは違うものを、新しい人たちと一緒に、自由に奔放に作っていきたい」と意気込みを見せた。

 台本には曲調や使用楽曲などの事細かな指定があり、70年代色が強く意識されているという。その音楽を手掛けるのは「ムーンライダーズ」の鈴木慶一だ。鈴木は「橋本さんの言葉のリズムがいいので、すごくやりやすかったですよ。世代も近く、聴いていた音楽も共通しているはず。橋本さんの頭に響いていたであろう音楽を想像しながら作りました」と創作過程を明かした。また、「アレンジには、ロックの“隠しアイテム”がたくさん入っています」「“ウッドストック世代”のみならず、音楽好きなら思わずニヤリとするようなスパイスが効いています」「全体的に『四谷怪談』のイメージには一切とらわれず、“まったくのロックです!”」と、作品について語った。

文楽「其礼成心中」 記事2012/08/15 20:38

PARCO劇場でやっている「其礼成心中」の写真がすごく良い。

公式HP

映画「ブラック会社に勤めてるんだが、もう俺は限界かもしれない」 感想2012/08/19 19:43

 いやぁ、想像以上におもしろかった。現実に少しだけエンタメ要素を足しただけかもというくらい、やたら真実味があった。
 納品業者のSEの人、夜いつ電話しても大体いるし、土日も仕事してる。リアリティあるなぁと思って観てしまいました(夜中に電話するこっちもこっちだが)。本当にこの職に就いている人には、キツい内容かもしれない。リアリティありすぎで、きっと全然笑えないと思う。
 「君は何のために働いているのか」、そうだよなぁ、自分の口くらい自分で養わなきゃなと活を入れることができた映画でした。
 生きるってこういう事なんだよ!